その5 「大蔵神社祭礼」                               2013.8.22

 
渡邉邸と同じ下関集落内に、大蔵神社という古い神社があります。創設は大同年間(806~809)以前と古く、現在の社殿は、享保17年に氏子である渡邉家四代当主善永が再建したものです。渡邉家と縁の深い神社ですので、今回は大蔵神社とその祭礼についてご紹介します。
                                                         
  
 大蔵神社の祭神は須佐男命(すさのおのみこと)大己貴命(おおなむちのみこと)櫛稲田姫命(くしなだひめのみこと)とし、ほか四神があわせ祀られています。寛政3年に渡邉家に祀られていた鎌倉時代作日吉山王権現像他4体も合祀されています。

 また、「大里峠」伝説に登場する座頭蔵市の琵琶がご神宝として祀られており、蔵市の杖が根を下ろし成長したと言われる大ケヤキの木も残っています。

 「大里峠」は、関川村に古くから伝わる大蛇伝説です。
 座頭蔵市が大里峠で野宿をしていた時に、偶然、大蛇の企みを知ってしまい、驚いた蔵市は峠を下り、村の大庄屋の三左衛門家(渡邉邸)を訪れて一部始終を告げ、息絶えてしまいます。
 
 
 話を聞いた村人たちによって大蛇は退治され、命がけで村を救ってくれた蔵市を大蔵神社にお祀りし、形見の琵琶をご神宝としたという言い伝えです。 
 
▲大輪の曳き廻し(佐藤邸前)
 大蔵神社祭礼は毎年9月15日頃に行われますが、戦前までは「渡邉家の祭り」でもありました。

 当時の様子を知る人の話によれば、宵祭りの日は、渡邉邸の前座敷に大輪に乗せる仁徳天皇の人形が飾られて、出番を待ちます。玄関先には盛砂が飾られ、提灯に明かりが燈され、宵祭りが始まると、仁徳天皇の人形は大輪の2階に乗せられ、渡邉邸の使用人たちに見送られながら出発して行ったのでした。

 神社では、渡邉家当主が氏子総代として席に着き、お参りに来た大勢の村人たちと挨拶を交わしました。
 


 祭り当日は、まだ暗いうちから「ヤレカガオキレ」(ほらかあちゃん起きろ)と威勢の良い掛け声をあげて山車を曳き始めます。日が昇ると、渡邉邸では玄関の大戸が開かれ、土間にゴザが敷かれて机が並べられ、大人も子供も大輪・山車の引手全員にお神酒・赤飯・フジマメのごまあえが振る舞われました。さらに、祭りの見物客にまで赤飯とごまあえを振る舞ったそうで、当時用意した赤飯はなんと米俵4俵(約240kg)だったと言います。

 
▲お神輿の渡御(渡邉邸前) 

 
▲山車の曳き廻し(津野邸前)
 

 戦後の農地解放後、赤飯等の振る舞いは無くなりましたが、祭りは下関集落の人々によって今も受け継がれています。古式ゆかしい装束に身を包んだ村のおもだちに守られながらお神輿が先頭を行き、続いて勇壮な大輪、浴衣姿の踊り子を乗せた山車、樽神輿が下関集落内を練り歩きます。中でも、大輪を左右に曳き廻す姿は大迫力。あまりの豪快さに沿道の民家の軒先を破壊した事も度々ありますので、ご観覧になる際は、お怪我のないようご注意下さい。


  ※ 祭りの詳しい日程をお知りになりたい方は、メールでお問い合わせ下さい。 
    分かり次第ご連絡を差し上げます。 watanabetei@tiara.ocn.ne.jp

   <ご参考>平成25年祭礼日程 宵祭り 9月14日(土) 18:00~ 大輪・山車曳き廻し
                                    19:30~ 神事
                      本祭り 9月15日(日)  9:30~ 神事、神輿渡御、稚児舞
                                    10:00~ 大輪・山車・樽神輿曳き廻し
 
   写真提供 NPO法人渡辺家